”Ich kann deine Handschrift nicht lesen.” aus
Duolingo Deutschkurs ご招待中。
ドイツ語(その他)学習の無料オンラインのレッスンで出会ったセンテンス、それが実生活でも使用出来るという体験をした。
* *
診療所でのドクターの診療を終え、受付カウンターに戻って次回のアポイントメントの日時を決めてもらう。
口頭で「何月何日何時」と伝えてくれる。
でもその何月何日何時が私の耳には即座には聞き取れない、困惑する。
数字の羅列が頭の中では書き取れなかったと言えようか。
ドイツ語の数字の羅列を耳にすると我が耳なのか頭脳なのか、大抵パニック状態に陥ってしまうことが屡々。
これはどういうことなのか。
まあ、ドイツ語とは何年となく付き合っているのに未だに慣れていない。
ドイツ語のディクテが自分に課されていた訳ではないのだが、そんな気持ちになってしまう。
「紙に書き下して貰えませんか」と頼んだ。
アポイント記入用の小さな名刺型カードは既に用意されているようで、
その一枚を受付カウンターの下から取り出して、私の目の前で、
コンピュータ画面を見ながら何月何日何時と書いている。
わたしはマスクをしたままでその筆記を眺めている。
吐く息に災いされてか目の機能が低下しているのか、何となく数字がぼやけているようにも見えた。
目をカッと見開いて、その手渡されたカードを声を出して読もうとした。
が、うーんと大きくは唸らなかったが、何も言えない、口が開かない。
読もうとしたのに、これ、何だろう、数字なのだろうか!?
その時、不思議がった。いや焦った。汗った。
やっと口が開いた。
数字の読み取りのために口を開いたのでない。
”Sie schreiben so schön, dass ich es nicht lesen kann. Leider.
ENTSCHULDIGUNG!”コロナウィールス蔓延中、プラスティックガラスの一種(ドイツ語で Plexiglasscheibe)を介して、その受付のオーストリア女性に伝えた。
私のドイツ語の(拙い? 失礼な?)コメントゆえに、その受付女性が不快な気分に陥いらないようにと微笑みながら、といってもマスクをしていたので、私の笑顔は残念ながら何もお見せすることは出来なかったと思うのですが、わたしの本音をそれとなく口に出して言ってみてしまった。
お宅の数字は私の目には読めないよ、とぶっきら棒に伝えたのではなく、やんわりとあなたの書いた数字は私には解読出来難いようですね、と伝えたつもり。要するに "Ich kann deine Handschrift nicht lesen."
彼女の側に腰掛けていた別の同僚受付女性はそのカードの方に目をやりながらも、私のコメントを聞きながらその表情は微笑もうとしたのか、いや、それを押し殺しているかのようにも観察された。
当該の受付女性はカードをもう一枚取り出して、何月何日何日とまた書き始めた。
私がちゃんと読めるように気を取り戻して書き直すしかないということだ。
その場で今度はアポイントの日付時間を私は声を出して確認出来た。
”Jetzt verstehe ich. Vielen Dank!”
受付カウンターの後方は待合室になっている。
そこで椅子に腰掛けて待っている患者さんたちは何もすることがないかのようで、私と受付女性とのやりとりを黙って聞いていたに違いない。
待合室の患者さんは誰もそうなのだが、自分の名前が呼ばれるまでじっと腰掛けて我慢している。
他の患者さんと会話をする人は誰もいない。
皆ダンマリ。
自分の名が呼び出されるのを今か今かとただただ待っている。
出入り口ドアーの側に腰掛けていた中年風の、でも若そうな女性も私と受付女性とのやり取りを耳にしていたらしい。というか、受付での会話は待合室での誰でもが耳にする筈だ。透明の仕切りドアは開けっ放しになっている。
待合室の隅のオープンロッカーから自分の冬用ジャケットを取って着込んで、出入り口ドアーへと急いで歩いて行った。
”Auf Wiedersehen! ”
待合室での患者さんの誰か特定の人に向かって別れの挨拶をしたのではなく、私はこの診療所を後にしますよ、という意思表示の積りでお別れのドイツ語挨拶をしながら出入り口へと向かった。
ドアーの近くに腰掛けていた、その女性、私がどんな顔をしているのか、見たかったのだろうか、私がドアーの外へと出る前に、私の方に向かって Big Smile。
わたしは皆様のためにちょっとしたスキットを演じてしまったかのようだ。
* *
何でもかんでもコンピュータを使って仕事をすることが多いこのご時世。
手書きをすることも少なくなったと言えようか。
でも手書きが完全になくなったとは言えまい。
手書きをするも、誰のためにするのか。自分のためか、それとも別の人のためか。
自分の手書きは自分が一番良く知っている。
あなたは人の手書きを見たことがあるだろうか、読んだことがあるだろうか。
自分の手書きは後で読み返したとして、読めることになっているのだろう。
自分では読めると思っていても、別の人が読もうとしたら読めないということもある筈だ。
今回のわたしはそれを体験した。
* *
自分の手書きは自分以外の人も読める筈だとあなたは無意識にも思っているのではないだろうか。
手書きを見せて読んで貰ったことがありますか。
ヨーロッパの人たち、ドイツやオーストリアの人たちを主に念頭に置いているのですが、
数字の7だと後で教えて貰ったのが私めの目には1に見えて、1に違いないと私なりに
読み取ったことがありました。大間違い!
今回のわたしの経験は 11 という数字が書かれていたのだったということが後で
了解出来たのですが、実はアルファベットの M に見えてしまた!
どう見ても考えても M にしか見えなかった。
M ってなんだろう、と私は不思議がった。
ドイツ語での月の名称の頭文字を取って記したのだろうか。
そうだとしても月の名称で Mで始まるのがあるのだろうか!