袋のネズミの猫を買う?飼う?

猫を飼っていますか。

買ったのですか。
それともよくあることなのかどうなのかは知りませんが、
でも時々そんなコメントを散見することがあります。
そう、拾ってきたのですか。
ああそうそう、そうですよね、貰ってきたのですよね。

まあ、猫をどのようにして入手するに至ったかにせよ、
この世の中、いつの世からかは知りませんが、
猫が好きな人はいるものですね。
もちろん、猫よりも犬が好きな人もいます。
別のペットを飼っている人もいることは分かっていますが。


わたしの家では猫も犬も飼ってはいません。
子供の頃から家にはペットを飼うこともなく過ごしてきたので、
ペットに対する愛着なるものを涵養することもなく
今日に至ってしまったとでも屁理屈な理由付けが出来るでしょうか。

ところで、ドイツ(またはドイツ語)では、
何時の頃からか、猫を飼うにしても買うことになっているようですね。
ご存知でしたか。

今回、ご紹介するドイツ語表現をみてください。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、
このドイツ語表現をとくとご覧になってください。
猫はどうするものか自ずと分かってくるかもしれませんね。

猫はどうするものなのか。

猫は買ってくるもののようですよ。
しかも、袋の中に入れて、です。

die Katze im Sack kaufen
 というドイツ語表現。
袋の中に入れて、を差し引いたとしても、
猫は買う、ということになっているではないですか!?

つまり
「die Katze im Sack kaufen」-「im Sack」==「die Katze kaufen」

尤も、猫といっても不特定多数のどれか一つ、というのではなく
なぜか「例の猫」と言った風に表現していますね。

猫一匹を買う、ということでしたら、
eine Katze kaufen とドイツ語では普通、表現するのが普通でしょう?
ドイツ語文法の観点からしても不定冠詞付きの名詞で以って、
目的語の猫一匹と表現すれば、それなりに落ち着いて聞いていられる。

ところが、ここでは定冠詞付きの、あの例の、猫一匹を買う、と言った風に
特定の猫を目的語として表現することになっているようです。
いわゆる慣用句となっています。あの例の猫?
本当に猫なのでしょうか!?

慣用句というものは往々にして、
普通の論理的思考が通用しないような語形となっていますが、
ここでは例の「猫一匹を買う」と表現することで
実は猫そのものを買うことを意味していない
のではないかと推理されてくるのです。

猫一匹を買う、と普通に言う時には、上で記したように、
不定冠詞付きの名詞と動詞を繋ぎあわせて表現する筈ですよね。

時と場合にも依るでしょうが、
定冠詞付きの名詞、今回はdie Katze となっていて、猫一匹を買いました。

そうですか、その猫は幾らしましたか?
とドイツ語で聞き返す時には、その質問文の中の猫はその猫ということで
定冠詞付きの猫 die Katze となるでしょう。

Ich werde heute eine Katze kaufen.
Wie viel kostet die Katze? Weißt du schon?
Ich weiß es noch nicht.

Gestern habe ich die Katze im Sack gekauft.
Welche Katze meinst du?

この慣用句、そう、これはドイツ語の慣用句の一つになっています、
知ってましたか、この慣用句の謂れを紐解くと、
ドイツは中世まで遡るようですが、

買い主はどうも自由意志で猫を買ったというのではなく、
家に持ってきて袋の中を見たら、あっと驚く。
猫が出て来たからだ。
猫を買うつもりは全然なかったのに、
いつの間にやら、猫が入っていると発見した買い主。

市場に行って別の動物を買うつもりだったのに、
いや、思いの動物を買ったと思いきや、猫に化けていたという次第。

売り主は買い主をまんまと引っ掛けたという次第。
買い主は騙されたのか、不注意だったのか、
売り主は賢かったのか、元々最初から騙すつもりだったのか、


知らぬ間に買わされてしまった、
いや、知らぬ間に、結局は買ってしまった。
そして、
しまった! してやられてしまった! 
と後悔しているかどうか、
ほぞを噛んでいるのかどうなのか、
その買い主の心理状況は如何ばかりのものか。

買ってしまったものは買ってしまったでもう飼うしかない?

猫は勝手に袋の中に入っていたのを買ってきてしまった。
買ってきてしまったものは飼うしかない。
だから猫は買って飼うことになった。

この話信じられますか。

         *  *

 die Katze im Sack kaufen

 その猫はいわば「袋の鼠」というのは日本語慣用句ですが、
 袋の鼠の猫は知らぬ間に買わされていたのでした。

 袋の猫を飼う買う!?

 つまり何を表現したいのでしょうか、
 もうそろそろなんとなく看取できますか。

 ついこの間のことでしたが、英国がEUから離脱したニュース
 解説を聴いていたら、
 レポーターがこのドイツ語表現を使っていました!  
 英国民のほぼ半分以上は「袋の中の猫を買ってしまった」のだ、と。

 何をこのレポーターは言いたかったのか分かるような分からないような。

 EUから離れて行ったのはまるで袋の中に何が入っているのかも注意深く確かめる
 こともなく例の猫を買ってしまったのであります、と言っていたような。

 猫を買ったの買わなかったのかはこれからしばらくしないと本当だったのかどうなのか
 早期には結論は出せないでしょう。
 猫を買ったぞ、とその猫を世界に見せびらかすかどうか。

 それはそうとつい最近は、ポケモン猫が世界を席巻し始めているようです。
 ポケモン猫は買わなくて済むようになっているようですね。
 買うのではなくてダウンロードする、
 そうすると飼うこと(一緒に相手になって遊ぶこと)が出来るようになっているようですね。
 猫といってもいろいろ。

 外国ではその手のサインにはご注意!?
posted by witzler at 17:51
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それは4年前の Es sei denn だった?

それはほぼ4年前に起こったことだった。
いや何も起こらなかった、と言えようか。

ところで今日は7月14日、
フランス(語)では Quatorze Juliet ですね。


そう、業者から明日の午前10時には伺います、
という電話連絡が昨日の午後にあった。

もちろん、ドイツ語での連絡であった。
"Wir kommen zu Ihnen morgen um 10 Uhr."

連絡を入れてくれることはありがたい。
こちらの都合だってあるのだから。


さてその明日が、つまり今日がやってきた。
まだ午前7時前であったが、寝床から叩き起こされてしまった。
午前10時に来ると言っていたのではなかったのか!?

だって午前7時から来るかも知れないでしょう。
だれがそんなこと言った!?

前例もあるし、と我がベターハーフが主張する。
とにかく、早く起きなさい、
いつまでもベッドに横たわっていないで、
ということらしい。
自分の方は先にもう起き上がって仕事へと行くための準備をしている。

私個人としては右足のくるぶし辺りの関節が2、3日前から痛み始めた。
またも痛風の前触れだろうか。
一度あることは二度、三度ある、という言い草は本当らしい。

もうドイツ語でも知るようになってしまった。
Gicht と言う。
Gift と言っても当たらずも遠からずと言えるかも。

ベットの上で安静にしているのが一番。
関節にストレスを加えることが宜しくない。
つまり立っていたり歩いたりすると余計にストレスが加わる。
だから横になってじっとしているのが良い。
しかもいつもよりも水分を多めに取る。
そうすることで痛みの原因が少しずつ何となく排出されてゆく。


話が脇道へと逸れるところだった。
午前10時に来ると言っていたのは本当なのだろうか。
もしかしたら午前10時半ごろになるのかも?

実はもう午前10時半は過ぎている!
もしかしたら、午前11時と言ったのではないのか。

いや、そんなことはない。
ドイツ語ははっきりと聞き取れたのだから。

"Wir kommen zu Ihnen morgen um 10 Uhr!!"




       *  *

雨降って地固まる。
別に目に見える形での揉め事が起こったわけではないけれども、
窓外を見ると小雨が降っている。

夏は既に終わって、今は秋。
そろそろ冬がやってくる気配を感じさせる。
いやそんなことはない、今日も雨が朝から降っているが、
これから夏に向かっている。


業者が約束時間通りに現れないことを受けて、
業者に代わって自分で訂正メッセージを作ってみた。

”Wir kommen zu Ihnen morgen um 10 Uhr, es sei denn dass es nicht regnet."

そう、ドイツ語表現、es sei denn が浮かんできたので使ってみた。
業界に於いては天候に左右される作業ということで、
来るは来ないを意味することもあるのは自明の理なのかもしれない。

来るか来ないか、実は天候次第でもある、
ということをそれなりに遅ればせながら事後的に了解した次第。

小雨降る中での戸外での作業はあり得ないのだ。
だから今日は来ないのだ、もう来ない。そう決めた。
誰が?

明日出直しなのだ。
明日来るかも知れない。
天気が良ければ、だろう。

まだ連絡は受けていない。
今日はもう来れないという連絡も受けていない。
勝手だよ。

もう正午を過ぎている。
雨が止んだら午後からでも来るのか、
それは分からない。
多分、
今日はもう来ないだろう。

明日来るか? 
来るかもしれない。
今のところ、
明日来るといった連絡はまだない。
これからか。

来るとも来ないとも言って来ないから、
明日は来るかも。
または来ないかも。

今日来なかったのだから、
明日は来るだろうと想定して、
それなりに心構えていようか。

今か今かと待っていながら、
結局は来なかったことやら
右足が痛むことやらで
何だか一日を失ってしまったような気分だ。


明日は晴れろ。
明日は来るだろう。

もう待ってはいない。
勝手に来てくれ。

勝手に契約通りに
作業に取り掛かってくれ。





追記:手元の Mastering German Vocabulary をつらつらと眺めていたら、
この表現が紹介されていた。

p.150 Ich würde Sie gerne morgen besuchen,
es sei denn, daß Sie keine Zeit hätten.


おお、何となく高級に響く例文ではないか。
いわゆる接続文だ。

業者の人がそんな風に電話で伝えてきたら、
こちらとしては畏まってしまいそうな例文ではないだろうか。
ちょっと気障に聞き取れないこともないこともない?

Ich habe Zeit, aber hätte keine Lust mehr, den Arbeiter zu empfangen.
posted by witzler at 15:54
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